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◆不定期日記ログ◆

■2017-09-16
この世界の片隅に
 金曜の夜、娘氏がワイフを巻き添えに早めにねんねしてくれたので、いまさら『この世界の片隅に』を観ていた。それもなぜか発売されたばかりのDVDでなくAmazonビデオで。

 この作品はとにかく原作者も映画スタッフも異様に緻密な取材をしていることで有名で、それは公開当時まったく観るつもりのなかった俺のところまでTwitterなどで評判が回ってくるほどだった。たとえば以下のような話である。

たとえば戦艦大和が入港する場面がありますが、原作に「19年4月」と書いてあって、そこから入港した日が特定できて「あぁ、できるんだ!」と思ったんですよ。別のシーンで、晴美ちゃんが「あれが利根」とすずさんに教えるところがありますが、その時に利根が呉にいたかというと、いないんです。つまり、晴美ちゃんは利根ではない別の軍艦を見て利根だと誤解しているんだと分かったので、「間違えるということは、利根に近い形をしている最上がいたのかな」という風になっていくわけです。

Gigazine 2016年11月11日 映画「この世界の片隅に」片渕須直監督インタビュー
 これは当時見かけた情報のほんの一部分で、本当に一事が万事この調子で取材&裏打ちをしているようだ。こうなると画面に描かれる些細なものにまで執念が感じられてきて、情報量が多過ぎてすぐ心のキャパを超えた。

 なにしろずっとひたすら「ウウッこれはTwitterでスゴイ取材のもと描かれていたと評判だったシーンなような気がする! すみずみまで見なければ! ウウッまさかこれもか!」という気持ちで映画を観続けるのはほんとうにつらい。そして、当時劇場勢があれだけ活発に発信していた考察や感想は、今となってはほとんどがTwitterの奥底に沈殿してしまい、読み直したいと思っても叶わない。やはり話題作の映画は話題のときに観なければいけないのだ。俺は深い後悔につつまれた。
 最終的には感情移入を諦めて「なんか戦時の様子を垣間見ることができる窓」として流し見することで事なきを得た。とりあえず「空襲もうあきた」みたいな台詞がじつにタイムリーでよかった。そうだよな。人はこういうユルいテンションのときにミサイル食らって死ぬことだってあるんだよな。そんなことを考えた。