◆不定期日記ログ◆
- ■2010-08-04
- 生ゴミコンポ
実家に、生ゴミをためて、堆肥にかえるための装置がある。
機械式のものではなく、畑に半分うまってるポリ容器だ。
あれを我々は「コンポスト」と呼んでいたが、
実はcompostとは「堆肥」のことである、ということがわかった。
あの容器は「コンポスター」が正しい。
なんという事だ。
フランケンシュタインの怪物や、アメリカでのニンテンドーのように、創造物が創造主の名前で呼ばれることは多々ある。
味の素やフマキラーのように、創造物の普及によって創造主が同じ名前に改名することもある。
だがこの例は違う。
我々はこの創造物(堆肥)が「コンポスト」だと認識していないのに、創造主を「コンポスト」と呼んでいるのだ。
これは「俺」を「うんこ」と呼ぶくらい不自然なことだ。
どうしてこうなった!?
語感原理主義の立場から考えると、これは「ポスト」の語感によるものだろう。
生ゴミを投入するポスト、というイメージに引っ張られている。
やはりポスターではいけない。
かわいそうなことだが、なにか画期的な別名が出ない限り、あれがコンポスターになることはあるまい。
機械式のものではなく、畑に半分うまってるポリ容器だ。
あれを我々は「コンポスト」と呼んでいたが、
実はcompostとは「堆肥」のことである、ということがわかった。
あの容器は「コンポスター」が正しい。
なんという事だ。
フランケンシュタインの怪物や、アメリカでのニンテンドーのように、創造物が創造主の名前で呼ばれることは多々ある。
味の素やフマキラーのように、創造物の普及によって創造主が同じ名前に改名することもある。
だがこの例は違う。
我々はこの創造物(堆肥)が「コンポスト」だと認識していないのに、創造主を「コンポスト」と呼んでいるのだ。
これは「俺」を「うんこ」と呼ぶくらい不自然なことだ。
どうしてこうなった!?
語感原理主義の立場から考えると、これは「ポスト」の語感によるものだろう。
生ゴミを投入するポスト、というイメージに引っ張られている。
やはりポスターではいけない。
かわいそうなことだが、なにか画期的な別名が出ない限り、あれがコンポスターになることはあるまい。