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◆不定期日記ログ◆

■2009-11-11
白い巨象
 ある晩、象は象小屋で、ふらふら倒れて地べたに座り、藁もたべずに、十一日の月を見て、「もう、さようなら、サンタマリア。」とこういった。
 「おや、何だって? さよならだ?」月がにわかに象にきく。
 「ええ、さよならです。サンタマリア。」
 「何だい、なりばかり大きくて、からっきし意気地のないやつだなあ。仲間へ手紙を書いたらいいや。」月がわらってこういった。
 「お筆も紙もありませんよう。」象は細ういきれいな声で、しくしくしくしく泣き出した。
 「そら、これでしょう。」すぐ眼の前で、可愛い子どもの声がした。象が頭を上げて見ると、赤い着物の童子が立って、硯と紙を捧げていた。象は早速手紙を書いた。

 里見へ

 この手紙をもって僕の白象としての最後の仕事とする。
 まず、稲扱小屋の実態を解明するために、大河内教授に蜂起をお願いしたい。
 以下に、稲扱についての愚見を述べる。
 稲の脱穀を考える際、第一選択はあくまで象の雇用であるという考えは今も変わらない。
 しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、発見した時点でブリキでこさえた大きな時計や百キロもある鎖をきたした進行症例がしばしば見受けられる。
 その場合には、赤い竜の眼をして見下ろすことが必要となるが、残念ながら未だ満足のいく成果には至っていない。
 これからの労働環境の飛躍は、象の労働にかかっている。
 僕は、君がその一翼を担える数少ない象であると信じている。
 能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
 君には稲扱の発展に挑んでもらいたい。
 遠くない未来に、ずいぶん眼にあうことがこの世からなくなることを信じている。
 ひいては、僕の手紙を読んだ後、花火みたいに野原の中へ飛び出す一石として役立てて欲しい。
 じっさい、象は生けるけいざいなり。
 なお、自ら稲扱小屋の第一線にある者が鎖と分銅を早期発見できず、過労で死すことを心より恥じる。

 財前五郎

 おや、川へはいっちゃいけないったら。