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◆不定期日記ログ◆

■2009-05-30
食パンの食
 なぜ「食パン」は「食」という言葉を冠しているのか?
 この疑問にとりつかれ、周囲に聞いたり調べたりした結果、いくつかの仮説があるものの決定打はないことがわかった。

・消しパンとの対比説
 デッサンなどで使う消しゴム用のパンと区別した、という説。
 思わず納得してしまう信憑性をもつトリビアだが、冷静に評価すると怪しい。
 パンはもともと食べるものであり、西洋画が入ってきた時にもその価値観は同じだったはず。そんななか、美術というごく一部の世界で使われていた言葉が、一般市民の価値観を凌駕できたかというと疑問が残る。

・「本食パン」説
 洋食の基本である、という意味で「本食」と呼ばれ、それが略されたという説。
 この説もあちこちで見受けられ、説得力がある。
 しかし「基本である」という立場を重視するならば、略したとき「食パン」になるだろうか?「本」のほうが残るべきではないだろうか?
 同様の理由で「主食パン」説も受け入れがたい。菓子パンも食べるものだからだ。

・フライパンとの対比説
 最初、まったくくだらないと思って却下した説。
 しかし前の2つの説と同じ視点で検討すると、意外に悪くない気がする。
 資料が見つからないのでまったくの憶測だが、洋食が日本に入ってきたとき、料理人は「食パン」と「フライパン」という2つのパンに出会った。
 片方は食べるもので、片方は明らかに食べられないものだ。
 料理人が「食パン」と呼びはじめたなら、その料理をいただく一般市民にも定着する可能性はある。

 なにより、「パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?」という古典的なぞなぞの存在が、この説を後押ししている。
 これほど反論の余地が多く、いまや子ども相手でも通用しないであろうなぞなぞが、なぜ生まれ、なぜ生き残っているのか。
 こういった歴史的背景があるとすればそれも納得がいく。

 まったく事実とは異なると思うが、「納得」が事実に優先することが稀にある。