Oneside Flat Web

◆不定期日記ログ◆

■2006-01-23
蟹と涙と男と女
 東海の小島の磯の白砂に
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる


 石川啄木の短歌である。
 最近どうもこの歌が気になりだした。

 「われなきぬれて かにとたわむる」

 この下の句から、魅力的な違和感が漂ってくる。
 啄木ほどの男が、マジ泣きしながら、カニとたわむれているのだ。
 いや今「啄木ほどの」とか言ったが、僕は啄木のことは何も知らない。じっと手を見る人であることは知っているが、恥ずかしながらこの歌が啄木の作であることすら忘却の空であった。

 そんな僕には、当然、啄木がなぜ、カニとたわむれちゃったりする事になったのか、それは知るよしもない。歌からもそれはわからない。
 僕にわかるのは、自らを「われ」と称するような男が、マジ泣きしながらカニをつついたりしている状況だけだ。
 不覚にも萌えた。
 そんな行動に及んじゃう「われ」に萌えた。
 超可愛いではないか。

 そうなると俄然、先ほどの疑問に固執したくなる。
 なぜそのような常道を逸した萌え行動に出たのか。
 肝心の上の句では、それには全く触れられていない。触れられていないが、例えばどんな事件があったらこういう状況になってしまうのか、僕の想像力では想定すらできない。マジ泣きまではわかるが、カニとたわむれちゃうとなると、上の句に何が来ても魅力的な違和感があるのだ。

 逆にいえば、上の句に何が来ようと違和感は変わらないのではないか。
 ためしに上の句を具体的な事例に差し替えてみよう。

「この味がいいね」と君が言ったから
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる


 いったい何を喰われたというのか…!!

 秋深き隣は何をする人ぞ
 われ泣きぬれて
 蟹とたはむる


 隣人よりむしろお前は何をしているのか…!!