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◆不定期日記ログ◆

■2005-06-16
進化する言葉
 先日の日記で「情けは人のためならず」について触れた。
 もはや「意味を間違えやすいことわざ」の代名詞といってもよいほどの扱いをうけているこのことわざだが、今日はこれについて考えてみたい。

 「情けはひとのためならず」というのは、「情けはひとのためではない(自分のためなのよ、どんどんしなさい)」という意味のことわざであるが、たいてい「情けはそのひとのためにならない」と誤解しやすい、と注意書きがされている。
 しかし、やはりことわざは実生活で使われてこそ生きてくるもの。現代社会の風潮においては後者のほうが使える場面がダンゼン多かろう。「いや日常生活でことわざとか使わねーよ」という意見は、ええい、この際無視する。とにかく、人を助けて「いえ自分のためですからコレ」という機会にはなかなかお目にかかれない。「情けをかけても相手のためにならない、容赦しないで行け!」という機会のほうが多いし、時代に即しているのではないか。

 言葉は生き物である、と言われるように、その意味が変化するのはごく自然なことである。それ自体は否定しない。
 しかし「情けは人のためならず」というのはよーするに「人のためなり」の否定なのであって、「人のためにならず」ととるにはちょっと違和感がある。よって、新しく「情けは人のためにならず」ということわざを作り、時代の流れのなかに放り込んでみるのがよいのではなかろうか。

 「渡る世間に鬼はなし」という言葉がある。しかしいまや橋田壽賀子の力で「渡る世間は鬼ばかり」のほうが広く定着した。時代に即した新しいことわざを作ることは不可能ではないはずだ。僕は日本語のそういう力を信じている。
 力こそパワー!
 言葉こそランゲージ!