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◆不定期日記ログ◆

■2017-06-06
君は太平洋を見たか
 俺は銀閣をこの目で見たことがあっただろうか。金閣はまちがいなくある。たぶん銀閣にも行ったはずだ……たぶん……たしか……。

 以前虚偽記憶について書いた通り、記憶とかいう神経細胞ネットワークは、我々が考えるより遙かにたやすく改ざんされる。鮮明な記憶として残っている風景も、ハードディスクに保存されたJPG画像のようなものでなく、追想するたびに脳内にある素材から再構成される不確かなものなのだ。



 ワイフが出産前に、互いの実家の母親などと会食をもったことがあった。「女だけで出産に向けて激励する会」みたいな感じの会で、その意図によると俺は出ちゃ駄目なんじゃない? と思いながら参加した。カニは旨かった。ところがワイフに聞くと俺は参加していなかったという。……えっ?

 ワイフはそのときにうちのばあさんと母さんが話したことをいくつか覚えていた。俺は大して覚えてなかったが、その内容は聞き覚えがあったし、いかにも二人が話しそうなことだった。これはどっちだ? 俺もその場にいて聞き流していた言葉なのか、それともワイフの証言によって今俺の中に作り出された偽りの「いかにもそういうことを話しそうな二人の映像」なのか?

 ……俺の中ではかなり後者に傾きつつある。いままで疑ったこともなかったが、俺はあの場にいなかったのかもしれない。あのカニの旨さはどこからコラージュされてきたのだろうか。他の参加者に聞けば真相はすぐわかりそうなものだがあえて聞かずにおこう。他の参加者が「いた」と言ってもそれが正確な記憶である保証はないし、俺の記憶が揺らいだ事実は変わらない。



 それをふまえて、社会科の資料集や京都のパンフレット、テレビの特集などでさかんに目にする銀閣という建物を、本当に自分の目で見たことがあったか……考えれば考えるほど怪しくなってきた。俺が銀閣に行ったというこの記憶は、俺の脳がこの豊富な素材から作り上げた偽りの記憶なのではないだろうか? それを確かめる手段はもうない。

 こういった誤認は他にもたくさん眠っているような気がする。本当に俺はあのゲームをクリアしているのか。友達のプレイを見ていただけではないのか。本当に俺はあのアニメを観たのか。なつかしアニメ特集とかで観ただけではないのか。疑い出せばきりがない。自分の存在そのものが否定されていく。狂気がひたひたと頭蓋骨の裏を侵食していくようだ。
 
 だが、銀閣の記憶がおぼろげな俺でも、平等院鳳凰堂に行ったことがあることは疑いようがない。当時の日記に書いてあるからだ。もはや当サイトは俺の外部記憶装置になりつつある。みんなも日記をつけて正気を保とう!