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■2023-07-17 : 俺たちはどう生きるか
もう年齢も40を過ぎると「どう生きるか」よりも「どう死ぬのか」のことを考えてしまいがちなんですが、なんと80過ぎのレジェンドアニメ映画監督が『君たちはどう生きるか』と刃をつきつけてきているんですよ。不惑がどうとか言ってる場合じゃないんですよね。
ただこの映画、マジで事前情報がまったくなく、ただ一枚のポスターだけでどう生きるかを決めなければならなかったんですね。ジブリ公式サイトでも「同名の小説が原作ではない」という話しか書いてない。
俺は映画でもゲームでも公式が出してくる事前情報はできるだけ履修してから作品に触れたいと思っているタイプなので、これはかなり不安でした。「宮崎駿監督作品」というだけで、ジャンルすらわからない映画をどういう態度で見に行ったらよいのか。しかもタイトルの圧がすごい。検索するとメガネがこちらをガン見してくる。こわい。
だから逆に怖いもの見たさで行っちゃおうと思ったんですよね。ここまでの大作映画を事前情報ゼロで観るという体験はおそらく今後ないでしょう。そのような考え方で生きていくことを俺は決めたのです。
総じて、これが2時間4分の尺に収まっていることが奇跡であるように思いました。これを観て、我々にどう生きよというのでしょうね。昔は「生きろ。」「生きねば。」で済んだのに、今やどう生きるかを考えなければならない。難しい世の中になったものです。
ただこの映画、マジで事前情報がまったくなく、ただ一枚のポスターだけでどう生きるかを決めなければならなかったんですね。ジブリ公式サイトでも「同名の小説が原作ではない」という話しか書いてない。
俺は映画でもゲームでも公式が出してくる事前情報はできるだけ履修してから作品に触れたいと思っているタイプなので、これはかなり不安でした。「宮崎駿監督作品」というだけで、ジャンルすらわからない映画をどういう態度で見に行ったらよいのか。しかもタイトルの圧がすごい。検索するとメガネがこちらをガン見してくる。こわい。
だから逆に怖いもの見たさで行っちゃおうと思ったんですよね。ここまでの大作映画を事前情報ゼロで観るという体験はおそらく今後ないでしょう。そのような考え方で生きていくことを俺は決めたのです。
とにかく情報が「君たちはどう生きるか」と突き付けてくる謎の君生きバードのポスターしかなかったので、「絶対違うけどそういう話だと思うしかない」という藁にすがるような状況で観覧をスタートしたんですが、いきなり火垂るの墓みたいな話が始まったので、リアリティラインをどこに持っていったらよいのかわからなくなりました。
そのうち、神的存在だと思っていた君生きバードが驚くほど下衆なしゃべり方を始めたため俺は完全にハシゴを外されました。自分の持つ情報がゼロになってしまったのです。許さないよ君生きバード……お前が人生を問うキャラじゃなかったら俺たちはこれから何を見せられるんだよ。
どういう話か予測がつかないので、自分がいま序盤を観ているのか終盤を観ているのかぜんぜんわからない。おそらく予告編などがあったら時々「金曜ロードショーなどで見たシーン、ここか!」「そういやまだあのシーンが出てないぜ!」と我にかえって自分の座標を確認できたと思うんですが、それがまったくできずに作品を浴びせかけられるの、とてもエキサイティングな体験でした。そして俺は「なぜ自分の座標を確認する必要があるのか?」ってふと思いました。なぜでしょうね。
おそらく俺は、「公式が出してくる事前情報を把握しておかないと、自分が変な方向を向いて鑑賞してしまうのではないか?」という不安をもっているのだと思います。今回も「同名の小説は原作ではない」という事前情報があったから小説の内容に目を通すことができましたし、その結果「その小説には『人として正しくあれ』みたいなメッセージが書いてある」という情報を得ていなければ、主人公が母の残した本を読んで何を思ったのかを受け取り損ねていたでしょう。
というかあのシーン、小説の情報がなければ「時間を超えて母が石の世界や自分の運命について記した本」だと思っちゃうのではないですか。なんかそれでもいいような気がするし、北米版のタイトルは『少年とアオサギ』になるようだし、どうすんだろ。
お話は中盤以降「これは何らかのメタファー! そしてこれが何らかのメタファー! そして喰らえッ明らかなアレのメタファーだァーッ!」っていうような感じでもみくちゃにされましたが、不思議と置き去り感はなく、むしろ心地よく高濃度の宮崎駿を浴びせかけられていました。
これ深読みされることを前提に書いてるでしょ。作者と作品を切り分けて考えることをゆるさない構えです。考察勢をまとめて一網打尽にするつもりだな。
背景美術が特に素晴らしく、オールジブリよくばりセットって感じでした。トトロみたいな田園風景、千尋みたいな和風建築、もののけみたいな原野、ハウルみたいな王城、ラピュタみたいなダンジョン、全部ある。それが西洋美術みたいな美しさで迫って来るのでスクリーンで観てよかった。他にもポニョみたいなババアもいるし、風立ちぬと紅の豚は……戦闘機のキャノピーがいっぱいでてきたよ! よかったね。
音楽は……音楽はもう久石譲でしたね……ここまで久石汁を最後の一滴まで絞りつくしていいんだ……ってくらい全編久石譲でしたね……。満月のシーンで「月光」みたいな旋律が出てきたときは「真面目か!」ってなりました。
そのうち、神的存在だと思っていた君生きバードが驚くほど下衆なしゃべり方を始めたため俺は完全にハシゴを外されました。自分の持つ情報がゼロになってしまったのです。許さないよ君生きバード……お前が人生を問うキャラじゃなかったら俺たちはこれから何を見せられるんだよ。
どういう話か予測がつかないので、自分がいま序盤を観ているのか終盤を観ているのかぜんぜんわからない。おそらく予告編などがあったら時々「金曜ロードショーなどで見たシーン、ここか!」「そういやまだあのシーンが出てないぜ!」と我にかえって自分の座標を確認できたと思うんですが、それがまったくできずに作品を浴びせかけられるの、とてもエキサイティングな体験でした。そして俺は「なぜ自分の座標を確認する必要があるのか?」ってふと思いました。なぜでしょうね。
おそらく俺は、「公式が出してくる事前情報を把握しておかないと、自分が変な方向を向いて鑑賞してしまうのではないか?」という不安をもっているのだと思います。今回も「同名の小説は原作ではない」という事前情報があったから小説の内容に目を通すことができましたし、その結果「その小説には『人として正しくあれ』みたいなメッセージが書いてある」という情報を得ていなければ、主人公が母の残した本を読んで何を思ったのかを受け取り損ねていたでしょう。
というかあのシーン、小説の情報がなければ「時間を超えて母が石の世界や自分の運命について記した本」だと思っちゃうのではないですか。なんかそれでもいいような気がするし、北米版のタイトルは『少年とアオサギ』になるようだし、どうすんだろ。
お話は中盤以降「これは何らかのメタファー! そしてこれが何らかのメタファー! そして喰らえッ明らかなアレのメタファーだァーッ!」っていうような感じでもみくちゃにされましたが、不思議と置き去り感はなく、むしろ心地よく高濃度の宮崎駿を浴びせかけられていました。
これ深読みされることを前提に書いてるでしょ。作者と作品を切り分けて考えることをゆるさない構えです。考察勢をまとめて一網打尽にするつもりだな。
背景美術が特に素晴らしく、オールジブリよくばりセットって感じでした。トトロみたいな田園風景、千尋みたいな和風建築、もののけみたいな原野、ハウルみたいな王城、ラピュタみたいなダンジョン、全部ある。それが西洋美術みたいな美しさで迫って来るのでスクリーンで観てよかった。他にもポニョみたいなババアもいるし、風立ちぬと紅の豚は……戦闘機のキャノピーがいっぱいでてきたよ! よかったね。
音楽は……音楽はもう久石譲でしたね……ここまで久石汁を最後の一滴まで絞りつくしていいんだ……ってくらい全編久石譲でしたね……。満月のシーンで「月光」みたいな旋律が出てきたときは「真面目か!」ってなりました。
総じて、これが2時間4分の尺に収まっていることが奇跡であるように思いました。これを観て、我々にどう生きよというのでしょうね。昔は「生きろ。」「生きねば。」で済んだのに、今やどう生きるかを考えなければならない。難しい世の中になったものです。