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■2016-04-01 : 明太子のひみつ
 タラコと明太子の違いは何か。
 スケトウダラの卵を塩漬けにしたのがタラコであり、それにさらに唐辛子等を用いて味付けをしたのが辛子明太子である。
 つまりただの明太子はタラコと同じものだ。
 それなのにタラコのことを明太子と呼ばない地域の人が、「辛子明太子」を略して「明太子」と呼び始めたせいで、タラコと明太子が違うものだという印象をもつ人が出てきてしまったのだ。
 いままさにこの地球上でも、杏仁豆腐を杏仁と略したりWikipediaをwikiと略したりする愚行がまかり通っており、人類は今後もこの類のミステイクをくり返していくのだと思うと暗澹たる気持ちである。

 話を戻そう。
 ではなぜタラコのことを「明太子」とも呼ぶようになったのか。
 それを明らかにするには歴史を室町時代までさかのぼらなければならない。

 室町幕府三代将軍である足利義満が、中国との勘合貿易で利益を上げたことは、教科書にも記されている通りである。
 当時中国を支配していた明の三代皇帝・永楽帝は、ヨーロッパの大航海時代に先んじて鄭和の大船団をアフリカにまで派遣するなど、海上交易に熱心な皇帝であった。

 この時代の東シナ海は、倭寇と呼ばれる武装商船団が跳梁跋扈する大海賊時代であったため、永楽帝は足利義満に貿易の利益を与えるかわりに、倭寇を取り締まらせたとされている。
 この貿易によって、明は日本から銅や刀剣などを輸入したが、もう一つ、永楽帝が強く求めたのが、博多や朝鮮半島各地から送られてくるスケトウダラの卵の塩漬け――タラコであった。

 そうまでしてスケトウダラの卵を求めたのは、病弱な皇太子(後の洪熙帝)のためであったと考えられている。当時は滋養強壮のための希少な食材だったのであろう。ただ現代の栄養学から見ると、これでコレステロールを摂りすぎたのが洪熙帝が即位後わずか1年で崩御した理由だったのではないかという説もある。
 いずれにせよ、こうしてスケトウダラの卵は、東シナ海沿岸部で「明の太子」の名前で呼ばれるようになったのであった。これが「タラコ=明太子」となったいきさつを四月一日に間に合うように熱心に俺が捏造したものである。すなわち上記は全部ウソであり、全部ウソというのもまたウソである。ネット上の情報を疑う心を新たにする日としたい。

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