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以下の記事へのツッコミです
■2016-01-06 : 冬の読書感想文
イェスパー・ユールの「しかめっ面にさせるゲームは成功する」を読んだ。
普段新書か文庫しか買わないくせに、なんでまた2000円もする翻訳書を手に取ったかといえば、毎晩ワイフがSplatoonをプレイしながら「糞!ファック!」としかめっ面で地団駄を踏んでいるからである(誇張表現)。
ひどい負け方をして悔しい!と言って席を立つのでチョーシメーターを見てみたらチョーシサイコーだった。総合的に見て勝ちまくってるじゃねえか!なんだよ!俺なんか第二回赤いきつねフェスでボッコボコにされ続けてチョーシメーターは最後までボチボチから出なかったんだぞ!それでも文句の一つも言わずに黙々とクリスマスキッズたちと……
……どこまでも脱線しそうなので本の話に戻る。
本書いわく、ゲームには失敗がつきものである。失敗のないヌルゲーは物足りないし、対戦であれば必ず敗者が存在する。我々は現実世界では失敗しないようにふるまうが、なぜ失敗するとわかっていてゲームをするのか?
ちょっと翻訳が難しくて、というか「翻訳者もコレ言ってる意味がわかんなかったから辞書的に訳したんじゃないか?」ってくらい難しい部分もあって、なかなか意味をとるのに苦労した。
まずひとつの説として、「人間はみずから悲しい思いをするために悲劇を観に行く」という「悲劇のパラドックス」を例にとる。恐怖映画も、胸糞小説も、我々は途中で映画館を出たり本を閉じたりする主導権を握っているので、安心して負の感情を摂取できるエンターテイメントとして成立しているのだ。ゲームの中での失敗も同じで、いつでもやめられるし、現実世界で給与の査定に響いたりはしないから……というのが最初に出てくる理由だ。
もうひとつの理由として、失敗したところにリトライして乗り越えたときにカタルシスが得られるから、という視点が挙げられている。どうしてもクリアできなかった音ゲーの譜面を間一髪さばけるようになった、とか、スーパーウルトラサンボマンボマーシャルアーツに苦戦したがシールドαを覚えたら圧勝できた、とか、そういう達成感のことと思われる。達成感のないゲームは面白くない。つまり、プレイヤーを失敗させることは、ゲームに不可欠な要素なのだ。
で、「失敗」させる要素を仕込むためには、当然「ゴール」を設定し、また、そのゴールに至るための「経路」を敷かねばならない。
筆者はそのゴールに至るための経路、言い換えるなら「ゴールに至るために何を求められるか」で、ゲームを3パターンに分類している。
なお、くれぐれもこの分類はクッキリと分かれるものではなく、ひとつのゲームの中に混ざりあっていることが多いことを留意して頂きたい。
■「スキル」のゲーム
プレイヤーの能力に応じて報酬をあたえる能力主義のゲーム。
俺が個人的に「体育会系ゲーム」と分類している、古典的シューティングやアクション、格闘ゲームなど、経験値がプレイヤーに蓄積するタイプのゲームである。
これに失敗することはすなわちプレイヤーの能力の不足を意味し、場合によっては失敗に学ぶ機会となる。
■「運」のゲーム
対戦ならじゃんけん、ソロプレイならソリティアなど。いわゆる運ゲー。
麻雀とかポーカーとかは運の要素もあるけど、経験からくる状況判断力も重要なので、どこまで「運」でどこまで「スキル」かは判断の分かれるところ。
運は一回だけの勝負では不平等だが、何度も対戦する場合は全員に対して平等である。
これに失敗するのは、ただ不運であったと諦めるしかない。次ガンバロ!
■「労力」のゲーム
プレイヤーが費やした時間に応じて報酬を与えるゲーム。
俺が個人的に「文化系ゲーム」と分類している、RPGとか、懐かしのサンシャイン牧場とか、経験値がゲーム内に蓄積するタイプのゲームである。
この場合の失敗とは「まだ成功していない」だけであり、レベルを上げて物理で殴ればたいてい解決できる。
そしてさらに、「ゴール」の種類を3パターンに分類している。
■クリア可能なゴール
一般的にクリアっていう場合にイメージするのがこれ。
マリオだったらピーチ姫を救ってエンディング、FF2ならウボアー。
一度ゴールしてしまえばあなたはそのゲームをクリアした人となり、不可逆である。
■一時的なゴール
格ゲーで相手に勝った、マインスイーパを無事クリアした、など繰り返されるゲームのクリア。
じゃんけんとかソリティアとか、「運」のゲームはこのゴールが多い。
だがたとえばRPGでも、誰かとリアルタイムアタックを競えばこのパターンとなりうる。ゲームシステム側でゴールを設定しなくても、プレイヤーの側で勝手にゴールを設定することも多々あるわけだ。
■上達のゴール
タイムアタック、スコアアタックなど。
クリア(自己ベスト更新)してもそれが次のゴールになるだけであり、果てしない。
中にはクッキークリッカーみたいにゴールそのものが存在しないデザインもある。
ゲームは、この3種類のゴールを適切に配置し、そこに至るまでの3種類の経路を提供することで、プレイヤーを成功もしくは失敗に導いているのだ。
たとえばSplatoonの一試合の結果は「一時的なゴール」であり、負けてもすぐ次の試合がある。そして一試合ぶんプレイヤーの「スキル」が高まったことで、次は慎重なプレイをして勝てるかもしれない。また、試合ごとメンバーがランダムなので、「運」がよければ次は味方に強い人が来て圧勝できるかもしれない。こうしてSplatoonは次の試合へとイカを駆り立てる。
本書にはもっといろいろ、「プレイヤーの成功とキャラクターの成功を切り分けられるか」とか「失敗したくないために面白くない戦法をとってしまう心理」とか書いてあるんだけど、ちょっと俺の体験に引き寄せて咀嚼することが困難だった、っていうか翻訳口調がホントわかりにくくてアレだったので、第四章の分類の部分だけ中心にまとめてみた。
ぶっちゃけ筆者の主張とズレた読み取り方をしてるかもしれない。興味のある人は手に取って検証してみて欲しい。
普段新書か文庫しか買わないくせに、なんでまた2000円もする翻訳書を手に取ったかといえば、毎晩ワイフがSplatoonをプレイしながら「糞!ファック!」としかめっ面で地団駄を踏んでいるからである(誇張表現)。
ひどい負け方をして悔しい!と言って席を立つのでチョーシメーターを見てみたらチョーシサイコーだった。総合的に見て勝ちまくってるじゃねえか!なんだよ!俺なんか第二回赤いきつねフェスでボッコボコにされ続けてチョーシメーターは最後までボチボチから出なかったんだぞ!それでも文句の一つも言わずに黙々とクリスマスキッズたちと……
……どこまでも脱線しそうなので本の話に戻る。
本書いわく、ゲームには失敗がつきものである。失敗のないヌルゲーは物足りないし、対戦であれば必ず敗者が存在する。我々は現実世界では失敗しないようにふるまうが、なぜ失敗するとわかっていてゲームをするのか?
ちょっと翻訳が難しくて、というか「翻訳者もコレ言ってる意味がわかんなかったから辞書的に訳したんじゃないか?」ってくらい難しい部分もあって、なかなか意味をとるのに苦労した。
まずひとつの説として、「人間はみずから悲しい思いをするために悲劇を観に行く」という「悲劇のパラドックス」を例にとる。恐怖映画も、胸糞小説も、我々は途中で映画館を出たり本を閉じたりする主導権を握っているので、安心して負の感情を摂取できるエンターテイメントとして成立しているのだ。ゲームの中での失敗も同じで、いつでもやめられるし、現実世界で給与の査定に響いたりはしないから……というのが最初に出てくる理由だ。
もうひとつの理由として、失敗したところにリトライして乗り越えたときにカタルシスが得られるから、という視点が挙げられている。どうしてもクリアできなかった音ゲーの譜面を間一髪さばけるようになった、とか、スーパーウルトラサンボマンボマーシャルアーツに苦戦したがシールドαを覚えたら圧勝できた、とか、そういう達成感のことと思われる。達成感のないゲームは面白くない。つまり、プレイヤーを失敗させることは、ゲームに不可欠な要素なのだ。
で、「失敗」させる要素を仕込むためには、当然「ゴール」を設定し、また、そのゴールに至るための「経路」を敷かねばならない。
筆者はそのゴールに至るための経路、言い換えるなら「ゴールに至るために何を求められるか」で、ゲームを3パターンに分類している。
なお、くれぐれもこの分類はクッキリと分かれるものではなく、ひとつのゲームの中に混ざりあっていることが多いことを留意して頂きたい。
■「スキル」のゲーム
プレイヤーの能力に応じて報酬をあたえる能力主義のゲーム。
俺が個人的に「体育会系ゲーム」と分類している、古典的シューティングやアクション、格闘ゲームなど、経験値がプレイヤーに蓄積するタイプのゲームである。
これに失敗することはすなわちプレイヤーの能力の不足を意味し、場合によっては失敗に学ぶ機会となる。
■「運」のゲーム
対戦ならじゃんけん、ソロプレイならソリティアなど。いわゆる運ゲー。
麻雀とかポーカーとかは運の要素もあるけど、経験からくる状況判断力も重要なので、どこまで「運」でどこまで「スキル」かは判断の分かれるところ。
運は一回だけの勝負では不平等だが、何度も対戦する場合は全員に対して平等である。
これに失敗するのは、ただ不運であったと諦めるしかない。次ガンバロ!
■「労力」のゲーム
プレイヤーが費やした時間に応じて報酬を与えるゲーム。
俺が個人的に「文化系ゲーム」と分類している、RPGとか、懐かしのサンシャイン牧場とか、経験値がゲーム内に蓄積するタイプのゲームである。
この場合の失敗とは「まだ成功していない」だけであり、レベルを上げて物理で殴ればたいてい解決できる。
そしてさらに、「ゴール」の種類を3パターンに分類している。
■クリア可能なゴール
一般的にクリアっていう場合にイメージするのがこれ。
マリオだったらピーチ姫を救ってエンディング、FF2ならウボアー。
一度ゴールしてしまえばあなたはそのゲームをクリアした人となり、不可逆である。
■一時的なゴール
格ゲーで相手に勝った、マインスイーパを無事クリアした、など繰り返されるゲームのクリア。
じゃんけんとかソリティアとか、「運」のゲームはこのゴールが多い。
だがたとえばRPGでも、誰かとリアルタイムアタックを競えばこのパターンとなりうる。ゲームシステム側でゴールを設定しなくても、プレイヤーの側で勝手にゴールを設定することも多々あるわけだ。
■上達のゴール
タイムアタック、スコアアタックなど。
クリア(自己ベスト更新)してもそれが次のゴールになるだけであり、果てしない。
中にはクッキークリッカーみたいにゴールそのものが存在しないデザインもある。
ゲームは、この3種類のゴールを適切に配置し、そこに至るまでの3種類の経路を提供することで、プレイヤーを成功もしくは失敗に導いているのだ。
たとえばSplatoonの一試合の結果は「一時的なゴール」であり、負けてもすぐ次の試合がある。そして一試合ぶんプレイヤーの「スキル」が高まったことで、次は慎重なプレイをして勝てるかもしれない。また、試合ごとメンバーがランダムなので、「運」がよければ次は味方に強い人が来て圧勝できるかもしれない。こうしてSplatoonは次の試合へとイカを駆り立てる。
本書にはもっといろいろ、「プレイヤーの成功とキャラクターの成功を切り分けられるか」とか「失敗したくないために面白くない戦法をとってしまう心理」とか書いてあるんだけど、ちょっと俺の体験に引き寄せて咀嚼することが困難だった、っていうか翻訳口調がホントわかりにくくてアレだったので、第四章の分類の部分だけ中心にまとめてみた。
ぶっちゃけ筆者の主張とズレた読み取り方をしてるかもしれない。興味のある人は手に取って検証してみて欲しい。