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■2014-04-29 : 出産までの顛末を記した長文
昨年8月に僕らは子どもを授かった。
授かったという言い方は好きではない。僕らの意志で子をもうけた。
ワイフはすぐに何も食べられなくなった。
つわりがこんな酷いものだとは正直まったく予想していなかった。
9月末から産院への入退院を繰り返し、点滴とウィダーインゼリーで命をつないだ。ワイフはうわごとのように「早く安定期に入りたい」と繰り返していたが、人間の食べ物全般を全く受け付けない状況は続き、もはや安定期というよりも喰種になって「あんていく」に入るほうが早いのではないかという惨状だった。元ネタがわからん人は『東京喰種』を読むべし。
11月にはついに総合病院への入院となった。もはやワイフのつわりは産科ではなく内科でなければ対処できぬレベルに達している、ということだ。ワイフの手足は難民キャンプのそれに近い悲惨な状況で、体重はいちばんひどいときで胎児込みで30kgを切った。こんな状態でも胎児は空気を読まずに元気に生育していた。
最初、主治医は「妊娠前から拒食症だったのでは?」と思っていたようだ。失礼な話だ。我々はやせようと思ったことなど微塵もない。あと「BMIが15を切ると妊婦でなくても突然死の可能性がある」とも言っていた。なおこのとき俺のBMIは15.5だった。あれ……これワイフだけでなく俺も死ぬんじゃ……?
ともあれ、ワイフは総合病院で摂食障害の治療をうけることになった。血管カテーテルを腕から心臓の手前まで突っ込んで、そこから毎日800キロカロリーをぶち込んだ。これに繋がれている限りは飲まず食わずでも死なないという恐るべき装置である。これで長いつわりが去るのをひたすら待つのだ。結局、不自由なく物が食べられるようになって退院の許可が出たのは12月末だった。このとき妊娠21週。
ちょっとこれ、いくらなんでも出産の難易度が高すぎないか。
神はこんなジゴクのステージを用意しておきながら、無責任に「産めよ、増えよ、地に満ちよ」なんて言ったのか?
おかしいだろ、これから栄養つけないといけないときに食えなくなるとか、生物的に設計間違ってるだろ。
今年に入ってからは謎の出血が続き、出血だと思ったら膀胱炎でしたテヘ、というような事態も経て、主治医の「切迫早産気味なのでなるべく安静に」という曖昧な判断を受けてワイフは実家でひたすら寝ていた。いっそ切迫早産と判断してくれれば全力で寝るのだが、地に落ちた体力をなんとか戻したい時期にこれは酷い。だが体力については、4月に臨月に入っていつ生まれてもいい、という状況になってからのトレーニングでそこそこは戻すことができたようだ。
予定日は5月の10日。しかしこういう経過もあり、胎児が小さくても早めに出産してしまおう、という予定ではあった。
4月19日にワイフの様子を見に行ったところ、時々お腹が痛くなってうめく案件が発生していた。
なんでも前駆陣痛というらしい。そこそこ定期的に来る。
ぼく「もうそれ陣痛じゃない?」
ワイフ「陣痛は腰が砕けて歩けないくらい痛いらしいから違う!」
ぼく「アッハイ」
それから謎の前駆陣痛に苦しむことまる2日……
月曜夜26時くらいに、枕元のケイタイにワイフ母からの着信。
ワイフ母「陣痛なので病院に来てください」
ぼく「」
なんなの前駆陣痛から陣痛にシームレスに移行したのコレ。
その二つの違いは何なわけ?ぜんぜん意味わかんない。
我々は出産について執拗に調査をし常に予測行動を絶やさない。
ネット上に転がる数多くの体験談から判断した結果、陣痛とはすなわち「ジゴクのような痛みであり最悪死ぬ」であった。
しかし実際は生理痛の強いのみたいな曖昧な奴がいつの間にか陣痛となっていたので、どこから陣痛と判断したものかまったくわからなかった。
いずれにせよ、もうすでにお産はかなり進んでいるようなので、真夜中のハイウェイをぶっ飛ばして病院へと向った。
3時過ぎ、「いきみたいですか?分娩台空いてるんでもう行っちゃいますか」という提案を受け分娩室へ。
我々の想定では「分娩台が空いていない、先生が来ないなどのトラブルでなかなか分娩室へ入れず、いきみたいのを堪えながら延々と陣痛室でのたうち回り最悪死ぬ」ことまで可能性に含まれていたが、まったくそのようなことはなかった。
だがワイフの苦しみようから判断して、陣痛はいよいよ想定していたような痛みに変わってきたようだ。その間隔も徐々に短くなっている。
装着された機械が無慈悲に記録する陣痛ゲージもカンストするようになり、俺はデータと目視の両面から陣痛の恐ろしさを目撃した。
そうしているうちに、5時過ぎにはもう本格的にいきんで良い段階まできた。
窓を開けると鳥のさえずりと爽やかな早朝の空気が吹き込んでくる。
このぶんだと朝にはもう終わっているのでは?
我々の予測によれば初産は非常に長期戦となることが明らかなため、24時間にわたって苦しみぬいたあげく気力体力の限界で帝王切開にもつれこみ最悪死ぬ事態を想定していたものの、まったくそのような状況にはなっていない。
あまりにとんとん拍子に事が進むのと、徹夜明けのテンションによって、俺はちょっぴり楽しい気持ちになってきた。
ワイフは大変な状態なので「何楽しい気持ちになってんだこの野郎」と思っていたと思うが、まあ陣痛の合間なんて何をされてもイラつくんだから大目に見なよ。
が、ここにきていきんでもいきんでもアカチャンが下りてこなくなる。
陣痛ゲージも最大値がかなり下がり、ワイフの様子を見ても痛みが弱まっていることは明らか。
分娩台に登ると安心して陣痛が弱まってしまうとか、連日の睡眠不足で陣痛が弱まってしまうことがあるらしい。出産にはいきむ筋力の他に子宮の収縮による痛みが必須。さすがの我々も「ジゴクのような痛みが弱まる」という事態は想定していなかった。
ようやく破水はしたものの、いきんでみたり、痛みを逃がしてチャージしたりを繰り返しているうちに朝8時。
ここで先生から「陣痛促進剤いれましょうか」という提案!
促進剤!
それは我々の調査によれば「これまでのジゴクのような痛みが圧縮されて押し寄せ最悪死ぬ」という恐ろしい薬剤なのである。
アカチャンの心音は終始安定しており、いますぐ出さねば危ない事態ではない……だがこのまま使わねばいつまでたっても分娩は終わらない……24時間にわたる苦しみ……気力体力の限界……我々は恐怖の板挟みとなり、促進剤を入れる決断をした!
ジゴクをもたらす恐怖の薬が点滴に投入されていく……それを見たワイフの本能に衝撃が走る!まだほとんど注入されていないというのに!陣痛の強さが飛躍的に増した!再びカンストする陣痛ゲージ!
ここで何故か胎盤の癒着を心配しはじめるワイフ。
我々の調査によれば出産後に胎盤が体外にスムースに剥がれ出てこない場合、それを人力で剥がさざるを得なくなり、その際ジゴクのような痛みに襲われ最悪死ぬ。
しかしふつう出産を目前にして胎盤のことを心配する人はいない。
アカチャンの頭が触れられる位置まで出ているのだ。早く出してやらねば。
ここの最後の頑張りがいちばんキツイ。小さいアカチャンとはいえ、最後の最後はやはり裂く以外に出す方法はないのだ。申し訳程度の注射のあと、陰部にハサミが入る!痛い!見えないけど絶対痛い!ワイフは絶叫!だがその絶叫と同時にアカチャンの頭、およそ直径10センチ!
そこまで出てしまえば、あとは先生につかまれてぬるりと胴体も出てくる。臍の緒が首と胴体にそれぞれ2周くらい巻き付いているようだったが、先生は上手に手繰り寄せて取り上げてくれた。ワイフの悲鳴が荒い呼吸に変わる。そしてアカチャンの泣き声。冷静を装っていた俺もこのときは涙が出た。
午前9時1分出産、在胎週38週と3日、体重2028g、性別女。
アカチャンは小さいものの、「酸素うめえ!」とばかりに全力で呼吸していた。声が出ちゃうのは仕方ないね、呼吸初めてだからね。
でもワイフが抱いたら静かになって、俺のとこにきたら大声あげるのはどうなの?初対面だからってひどくない?
我々は出産にあたって様々な調査と予測をしてきたが、現実の戦場ではほとんど役に立たなかった。
特に痛みや恐怖といった感覚はきわめて個人的なものであり、こういった情報を集めても不安を増幅させるだけでなんの利もない。
平安時代の哲学剣士ミヤモト・マサシも「案ずるより産むがマサシ」と言っている。また「母はマサシ」とも言っている。母体には出産に耐えうる力が備わっているのだ。
アカチャンは予定通り保育器に入って、人体の操作方法を覚えようとひたすらもがいていた。
テキトーにバンバンボタン押してるな、と思うくらいの動きようだった。
取説ないからごめんな。手探りでなんとかしてくれ。
授かったという言い方は好きではない。僕らの意志で子をもうけた。
ワイフはすぐに何も食べられなくなった。
つわりがこんな酷いものだとは正直まったく予想していなかった。
9月末から産院への入退院を繰り返し、点滴とウィダーインゼリーで命をつないだ。ワイフはうわごとのように「早く安定期に入りたい」と繰り返していたが、人間の食べ物全般を全く受け付けない状況は続き、もはや安定期というよりも喰種になって「あんていく」に入るほうが早いのではないかという惨状だった。元ネタがわからん人は『東京喰種』を読むべし。
11月にはついに総合病院への入院となった。もはやワイフのつわりは産科ではなく内科でなければ対処できぬレベルに達している、ということだ。ワイフの手足は難民キャンプのそれに近い悲惨な状況で、体重はいちばんひどいときで胎児込みで30kgを切った。こんな状態でも胎児は空気を読まずに元気に生育していた。
最初、主治医は「妊娠前から拒食症だったのでは?」と思っていたようだ。失礼な話だ。我々はやせようと思ったことなど微塵もない。あと「BMIが15を切ると妊婦でなくても突然死の可能性がある」とも言っていた。なおこのとき俺のBMIは15.5だった。あれ……これワイフだけでなく俺も死ぬんじゃ……?
ともあれ、ワイフは総合病院で摂食障害の治療をうけることになった。血管カテーテルを腕から心臓の手前まで突っ込んで、そこから毎日800キロカロリーをぶち込んだ。これに繋がれている限りは飲まず食わずでも死なないという恐るべき装置である。これで長いつわりが去るのをひたすら待つのだ。結局、不自由なく物が食べられるようになって退院の許可が出たのは12月末だった。このとき妊娠21週。
ちょっとこれ、いくらなんでも出産の難易度が高すぎないか。
神はこんなジゴクのステージを用意しておきながら、無責任に「産めよ、増えよ、地に満ちよ」なんて言ったのか?
おかしいだろ、これから栄養つけないといけないときに食えなくなるとか、生物的に設計間違ってるだろ。
今年に入ってからは謎の出血が続き、出血だと思ったら膀胱炎でしたテヘ、というような事態も経て、主治医の「切迫早産気味なのでなるべく安静に」という曖昧な判断を受けてワイフは実家でひたすら寝ていた。いっそ切迫早産と判断してくれれば全力で寝るのだが、地に落ちた体力をなんとか戻したい時期にこれは酷い。だが体力については、4月に臨月に入っていつ生まれてもいい、という状況になってからのトレーニングでそこそこは戻すことができたようだ。
予定日は5月の10日。しかしこういう経過もあり、胎児が小さくても早めに出産してしまおう、という予定ではあった。
4月19日にワイフの様子を見に行ったところ、時々お腹が痛くなってうめく案件が発生していた。
なんでも前駆陣痛というらしい。そこそこ定期的に来る。
ぼく「もうそれ陣痛じゃない?」
ワイフ「陣痛は腰が砕けて歩けないくらい痛いらしいから違う!」
ぼく「アッハイ」
それから謎の前駆陣痛に苦しむことまる2日……
月曜夜26時くらいに、枕元のケイタイにワイフ母からの着信。
ワイフ母「陣痛なので病院に来てください」
ぼく「」
なんなの前駆陣痛から陣痛にシームレスに移行したのコレ。
その二つの違いは何なわけ?ぜんぜん意味わかんない。
我々は出産について執拗に調査をし常に予測行動を絶やさない。
ネット上に転がる数多くの体験談から判断した結果、陣痛とはすなわち「ジゴクのような痛みであり最悪死ぬ」であった。
しかし実際は生理痛の強いのみたいな曖昧な奴がいつの間にか陣痛となっていたので、どこから陣痛と判断したものかまったくわからなかった。
いずれにせよ、もうすでにお産はかなり進んでいるようなので、真夜中のハイウェイをぶっ飛ばして病院へと向った。
3時過ぎ、「いきみたいですか?分娩台空いてるんでもう行っちゃいますか」という提案を受け分娩室へ。
我々の想定では「分娩台が空いていない、先生が来ないなどのトラブルでなかなか分娩室へ入れず、いきみたいのを堪えながら延々と陣痛室でのたうち回り最悪死ぬ」ことまで可能性に含まれていたが、まったくそのようなことはなかった。
だがワイフの苦しみようから判断して、陣痛はいよいよ想定していたような痛みに変わってきたようだ。その間隔も徐々に短くなっている。
装着された機械が無慈悲に記録する陣痛ゲージもカンストするようになり、俺はデータと目視の両面から陣痛の恐ろしさを目撃した。
そうしているうちに、5時過ぎにはもう本格的にいきんで良い段階まできた。
窓を開けると鳥のさえずりと爽やかな早朝の空気が吹き込んでくる。
このぶんだと朝にはもう終わっているのでは?
我々の予測によれば初産は非常に長期戦となることが明らかなため、24時間にわたって苦しみぬいたあげく気力体力の限界で帝王切開にもつれこみ最悪死ぬ事態を想定していたものの、まったくそのような状況にはなっていない。
あまりにとんとん拍子に事が進むのと、徹夜明けのテンションによって、俺はちょっぴり楽しい気持ちになってきた。
ワイフは大変な状態なので「何楽しい気持ちになってんだこの野郎」と思っていたと思うが、まあ陣痛の合間なんて何をされてもイラつくんだから大目に見なよ。
が、ここにきていきんでもいきんでもアカチャンが下りてこなくなる。
陣痛ゲージも最大値がかなり下がり、ワイフの様子を見ても痛みが弱まっていることは明らか。
分娩台に登ると安心して陣痛が弱まってしまうとか、連日の睡眠不足で陣痛が弱まってしまうことがあるらしい。出産にはいきむ筋力の他に子宮の収縮による痛みが必須。さすがの我々も「ジゴクのような痛みが弱まる」という事態は想定していなかった。
ようやく破水はしたものの、いきんでみたり、痛みを逃がしてチャージしたりを繰り返しているうちに朝8時。
ここで先生から「陣痛促進剤いれましょうか」という提案!
促進剤!
それは我々の調査によれば「これまでのジゴクのような痛みが圧縮されて押し寄せ最悪死ぬ」という恐ろしい薬剤なのである。
アカチャンの心音は終始安定しており、いますぐ出さねば危ない事態ではない……だがこのまま使わねばいつまでたっても分娩は終わらない……24時間にわたる苦しみ……気力体力の限界……我々は恐怖の板挟みとなり、促進剤を入れる決断をした!
ジゴクをもたらす恐怖の薬が点滴に投入されていく……それを見たワイフの本能に衝撃が走る!まだほとんど注入されていないというのに!陣痛の強さが飛躍的に増した!再びカンストする陣痛ゲージ!
ここで何故か胎盤の癒着を心配しはじめるワイフ。
我々の調査によれば出産後に胎盤が体外にスムースに剥がれ出てこない場合、それを人力で剥がさざるを得なくなり、その際ジゴクのような痛みに襲われ最悪死ぬ。
しかしふつう出産を目前にして胎盤のことを心配する人はいない。
アカチャンの頭が触れられる位置まで出ているのだ。早く出してやらねば。
ここの最後の頑張りがいちばんキツイ。小さいアカチャンとはいえ、最後の最後はやはり裂く以外に出す方法はないのだ。申し訳程度の注射のあと、陰部にハサミが入る!痛い!見えないけど絶対痛い!ワイフは絶叫!だがその絶叫と同時にアカチャンの頭、およそ直径10センチ!
そこまで出てしまえば、あとは先生につかまれてぬるりと胴体も出てくる。臍の緒が首と胴体にそれぞれ2周くらい巻き付いているようだったが、先生は上手に手繰り寄せて取り上げてくれた。ワイフの悲鳴が荒い呼吸に変わる。そしてアカチャンの泣き声。冷静を装っていた俺もこのときは涙が出た。
午前9時1分出産、在胎週38週と3日、体重2028g、性別女。
アカチャンは小さいものの、「酸素うめえ!」とばかりに全力で呼吸していた。声が出ちゃうのは仕方ないね、呼吸初めてだからね。
でもワイフが抱いたら静かになって、俺のとこにきたら大声あげるのはどうなの?初対面だからってひどくない?
我々は出産にあたって様々な調査と予測をしてきたが、現実の戦場ではほとんど役に立たなかった。
特に痛みや恐怖といった感覚はきわめて個人的なものであり、こういった情報を集めても不安を増幅させるだけでなんの利もない。
平安時代の哲学剣士ミヤモト・マサシも「案ずるより産むがマサシ」と言っている。また「母はマサシ」とも言っている。母体には出産に耐えうる力が備わっているのだ。
アカチャンは予定通り保育器に入って、人体の操作方法を覚えようとひたすらもがいていた。
テキトーにバンバンボタン押してるな、と思うくらいの動きようだった。
取説ないからごめんな。手探りでなんとかしてくれ。