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■2012-03-24 : みちのくぶらり旅
先週末、世界遺産・平泉と日本三景・松島を見てきた。
東北新幹線で北へ向かう間、福島の町や畑を見て、こんなに普通の生活が営まれているのに、福島県というだけで差別の対象になってしまうのだろうなあ、というようなことを考えた。
それもこれもすべて原発が「福島」などという広域の名前を名乗ったせいである。
このような深刻な事故に限らず、身の丈よりも広い名前を名乗るものには注意が必要だ。
たとえば、万が一「伊豆市」で何か不祥事があった場合、「伊豆」というだけで熱海市や下田市が被るダメージについて、伊豆市はどう責任をとるというのだろうか?
そんな福島をあっという間に通過して、一ノ関に到着。
そこからはバスで平泉へ向かう。
世界遺産に登録されただけあって、景観条例があるらしい。
セブンイレブンはグレーと白で看板を掲げていた。
なんだか喪中のようで違和感がある。
平泉で真っ先に出てくる場所はやっぱりここだろう。
ただのガワであるにもかかわらずとても有名なロケーション。
実際の金色堂はこのコンクリートの覆堂の中にある。
『おくのほそ道』で芭蕉が言っているように、もともとは野ざらしだったようだ。たまたま五月雨が降り残したので保全が間に合ったのだろうか。よくもまあ略奪もされずに残ったものだと思うと感慨深い。
英語対応のエリアマップには「金色堂 Golden Hall」と書かれていた。
ゴールデンホール……この身も蓋もない感じ、わりと嫌いじゃない。
お守り売り場にいたチーコさん。
つながれているわけでもないのにおとなしくしていた。
中尊寺から下山すると、正面に小高い丘が見える。
これが『奥のほそ道』で芭蕉が真っ先に登った「高館」である。
ひょっとして「南部より流るる」って、南部鉄器の南部のこと?
ええー芭蕉オマエ騙したな!
ここは源義経が壮絶な最期を遂げた場所である。
ここにはデッサンが著しく狂った仁王像があった。
実物を見に行けない人ばかりだと思って……!
仙台まで南下して、翌日は松島へ。
まったく雪対策のできていない静岡県民は、この程度の積雪でもテンションがあがり、最悪の場合死に至る。要注意だ。
松島は震災の直撃をくらいながらも、このたくさんの島々に守られて、津波での大破壊を免れた。それでも船着所には、俺の身長より高い位置に津波到達マークが示されていたので、ここまで立て直すのはかなりの苦労があったと想像できる。
遠くの島々に家が並んでいるのが見えたが、どうやらアレはギリギリ建っているだけで、解体の順番を待っている瓦礫らしい。我が家が瓦礫と名前を変えてしまう気持ちはどのようなものであろうか。
遊覧船の中では特産品のほか、かっぱえびせんが販売されている。
船に寄ってくるウミネコを餌付けするためのものらしい。
さきほどの写真に、出港する遊覧船が何隻か写っているが、出港直後はハチの巣をつついたかの如くウミネコの大群にたかられている。
正直遊覧船では島より鳥ばかり見ていた気がする。
雪解け水が樹上からポタポタ降ってくる杉並木。
ここもいちばん奥までギリギリ津波が到達したらしい。
海水を食らって、いまいち元気のない杉だった。
松島から仙台に帰る途中、車窓から塩竃の街を見た。
パッと見は片付いているものの、ときおり瓦礫の山があったり、線路沿いの空き地にボートや乗用車がひっくり返っていたりするところを見ると、津波の凄惨さがよくわかる。
ただ、ものすごい古い木造の一軒家が何事もなかったように残っていたりして、ああ、津波のパワーも決して一律ではないのだな、と理解した。
それにしても、津波で荒野になってしまったと思われる一角に、住宅会社の真新しいモデルルームがぽつんとあったのは何だったんだろう。誰か買うのかアレ。
東北新幹線で北へ向かう間、福島の町や畑を見て、こんなに普通の生活が営まれているのに、福島県というだけで差別の対象になってしまうのだろうなあ、というようなことを考えた。
それもこれもすべて原発が「福島」などという広域の名前を名乗ったせいである。
このような深刻な事故に限らず、身の丈よりも広い名前を名乗るものには注意が必要だ。
たとえば、万が一「伊豆市」で何か不祥事があった場合、「伊豆」というだけで熱海市や下田市が被るダメージについて、伊豆市はどう責任をとるというのだろうか?
そんな福島をあっという間に通過して、一ノ関に到着。
そこからはバスで平泉へ向かう。
世界遺産に登録されただけあって、景観条例があるらしい。
セブンイレブンはグレーと白で看板を掲げていた。
なんだか喪中のようで違和感がある。
平泉で真っ先に出てくる場所はやっぱりここだろう。
ただのガワであるにもかかわらずとても有名なロケーション。
実際の金色堂はこのコンクリートの覆堂の中にある。
『おくのほそ道』で芭蕉が言っているように、もともとは野ざらしだったようだ。たまたま五月雨が降り残したので保全が間に合ったのだろうか。よくもまあ略奪もされずに残ったものだと思うと感慨深い。
英語対応のエリアマップには「金色堂 Golden Hall」と書かれていた。
ゴールデンホール……この身も蓋もない感じ、わりと嫌いじゃない。
お守り売り場にいたチーコさん。
つながれているわけでもないのにおとなしくしていた。
中尊寺から下山すると、正面に小高い丘が見える。
これが『奥のほそ道』で芭蕉が真っ先に登った「高館」である。
先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。
- (おくのほそ道 平泉)
ひょっとして「南部より流るる」って、南部鉄器の南部のこと?
ええー芭蕉オマエ騙したな!
ここは源義経が壮絶な最期を遂げた場所である。
ここにはデッサンが著しく狂った仁王像があった。
実物を見に行けない人ばかりだと思って……!
仙台まで南下して、翌日は松島へ。
まったく雪対策のできていない静岡県民は、この程度の積雪でもテンションがあがり、最悪の場合死に至る。要注意だ。
松島は震災の直撃をくらいながらも、このたくさんの島々に守られて、津波での大破壊を免れた。それでも船着所には、俺の身長より高い位置に津波到達マークが示されていたので、ここまで立て直すのはかなりの苦労があったと想像できる。
遠くの島々に家が並んでいるのが見えたが、どうやらアレはギリギリ建っているだけで、解体の順番を待っている瓦礫らしい。我が家が瓦礫と名前を変えてしまう気持ちはどのようなものであろうか。
遊覧船の中では特産品のほか、かっぱえびせんが販売されている。
船に寄ってくるウミネコを餌付けするためのものらしい。
さきほどの写真に、出港する遊覧船が何隻か写っているが、出港直後はハチの巣をつついたかの如くウミネコの大群にたかられている。
正直遊覧船では島より鳥ばかり見ていた気がする。
雪解け水が樹上からポタポタ降ってくる杉並木。
ここもいちばん奥までギリギリ津波が到達したらしい。
海水を食らって、いまいち元気のない杉だった。
松島から仙台に帰る途中、車窓から塩竃の街を見た。
パッと見は片付いているものの、ときおり瓦礫の山があったり、線路沿いの空き地にボートや乗用車がひっくり返っていたりするところを見ると、津波の凄惨さがよくわかる。
ただ、ものすごい古い木造の一軒家が何事もなかったように残っていたりして、ああ、津波のパワーも決して一律ではないのだな、と理解した。
それにしても、津波で荒野になってしまったと思われる一角に、住宅会社の真新しいモデルルームがぽつんとあったのは何だったんだろう。誰か買うのかアレ。