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以下の記事へのツッコミです
■2010-10-14 : ゼノギアスに関する長文
アーカイブスで買ってきたゼノギアスをクリア。
「裏FF7」とも呼ばれ、いまだに根強いファンをもつゲームである。
なおモッコス様はゼノサーガなので全然別物。
シナリオは緻密で複雑。
発売が1998年2月なので、エヴァの影響を直撃で喰らっており、ロボットアニメの文法に思想哲学を織り込んだ切り口で、牧歌的な村から人類全体を巻き込む戦いまでを描く。
とにかく設定が緻密なので、全編通して説明的セリフが多く、うかうかしてると最初のほうの伏線を忘れてしまうほどだ。
正直、RPGにこれだけの設定をのっけられたのは驚嘆のほかない。
JRPGの主成分であるキャラクターも、ベタすぎないバランスで揃っている。
それぞれのキャラの設定・描写もこだわりが感じられ、少なくとも矢吹健太郎先生に「ナノマシンとは幼女を変形させるもの」という知識を植え付ける程度にはセンセーショナルだったと言えるだろう。
それぞれの仲間との出会いから、パーティに正式加入するまでの話は、ワンピースさながらのていねいさでメインシナリオを脱線して描かれる。
ただ、そんなシナリオとキャラが、システムとかみ合ってるかというと疑問が多い。
主人公たちが乗るマシン(ギア)は、派手な空中戦を繰り広げるシーンがあるくせに、普段は貧弱なジャンプしかできず、アクションの苦手なプレイヤーを困らせる。
飛べるんだろ!?飛べよ!
また、おそらくジャイアントロボが大好きな人が設定したと思われるキャラがおり、彼女だけコクピットでなくギアの頭に乗って出撃するのだが、それがシナリオに関係するでもなく、何かパラメータに影響するわけでもなく、むしろそのまま平然と水中戦や高度空中戦をやってしまう現象が起きている。完全にムダ設定といえるだろう。
そう、ここまでひいき目に書いてきたけれど、
ゼノギアスはシナリオに対してシステム面がまったくお粗末なのだ。
ここからの長文は、主にゼノギアスをDisる流れになる。
だが、このゲームの問題点は、そのまま今のJRPGにも引きずられているかもしれない。「RPGとは何か」に関わる問いなので、丁寧に、誠実にDisっていきたい。
■パラメータの価値とそのバランス
最初に一番致命的に残念だった点を述べる。
ゼノギアスの戦闘は「すばやさ」に応じた疑似アクティブタイムバトル制をとっている。(コマンド入力待ちのとき停止するのでリアルタイムではない)
その「すばやさ」はキャラごとに固定されていて、基本的には変化しない。
フェイが11、シタンが13、リコやマリアは7固定。
たった6の差だけど、リコさんが1回動く間に、シタン先生はなんと3回動く。
そうなると当然シタン先生の能力はリコさんの1/3であるべきだが、攻撃力はリコさん44に対してシタン先生41。
「たかだかすばやさ6点」とでも思ったのか!?
したがってすばやさが10以下のキャラはほぼ存在価値が無い。このカースト制度により、リコさんなどは公式いらない子認定されている。無責任な!
肉弾戦メンバーはシタン13・エメラダ12・フェイ11でほぼ確定。
ボス戦では命中支援のためにバルトを採用する手があったり、ギア戦になると主砲として魔改造したビリーさんを投入したりするが、8人もメンバーがいるのに、この選択肢の狭さは勿体ないことである。
なお「魔改造したビリーさん」とは、他のパラメータを全部捨てて、魔力増幅アクセサリだけを装備し、魔力増幅装置だけを装備したギアに乗ることで、あっさり9999ダメージを連発できるようになったビリーさんのこと。
こういう工夫の余地があるのは面白いが、やはり極端なバランスという印象は拭えない。
■ゼノギアスの戦闘
戦闘をいかに楽しくするか、というのはRPGの要の1つだと思うが、ゼノギアスは、「攻撃」コマンドが弱・中・強のコンボになるのが特徴だ。基本的には強攻撃だけぶっぱなすのが一番効率がいいのだが、弱・中・強の組み合わせで覚える必殺技が、最終的に火力の要になる。
したがって、ザコ戦では「弱中強」「弱弱弱強」などで技を覚えるポイントを稼ぎ、ボス戦ではその時点で使える一番強い技を連発して(消費は無い)戦う。
問題はそのボス戦のありかたなのだ。
だいたいいつも「HPが減ったら回復魔法、そうでないときは攻撃」の繰り返し。
1人のときは仕方あるまい。だが3人になっても変わらないので困る。
その上、MP回復の手段が潤沢なので、とにかく負ける要素が無い。
しかもどうやら「強敵=HPが高い」と誤解しているらしく、長期戦をすることが強さの指標だと言わんばかりに、無駄にしぶとい奴が多い。素人がRPGツクールで陥りがちな罠にきっちりハマっているではないか!
終盤になるとようやく技巧派の敵が現れ始める。「○ターン以内に倒すとレアアイテムを落とすボス」などは頭を使った。
……最終的に魔改造ビリーさんで撃ち殺すことで解決したが。
■こんな装備で大丈夫か?
わりとどのRPGでもつまらないなと思うのが、新しい街に到達して新しいラインナップの装備が売られていたときに、
「一番いいのを頼む」
以外の選択肢がなく、しかもだいたいそれが所持金の範囲に収まってしまうことだ。
ゼノギアスの場合、やはりキャラの装備もギアのチューンも、
「一番いいのを頼む」
で済んでしまうため、お金を貯めるとか使うとか、そういう感覚が無い。
終盤になると、魔改造ビリーさんのような工夫の余地が出てくるが、それ以外は、どうしても装備の刷新は単純作業になりがちだ。
一番いいのを買うと明らかに軍資金不足になるよう設定してあって、戦闘のバランス自体は二番目の装備を基準に取られてるようにすれば、詰まった人が装備を買って強引に突破する、という選択ができるな……と考えた。
JRPGって「レベル上げさえすれば誰でもクリアできるもの」と認識されてるけど、そこに「お金稼ぎをすれば」という要素を加えてもいいんじゃないかな。……まあどっちみち、それだけじゃPAR全盛になるだけだと思うけど。
■RPGとダンジョン
「ゲーム」の定義から外れつつあるJRPGの中で、まだゲームらしい要素の1つに、「ダンジョンを進み、消耗していく中で、どのタイミングで補給に戻るか」という判断をせまられる、というものがあると思う。
いまや安価なテントがあり、大抵のダンジョンにはセーブポイントがあり、ボスの前にもご丁寧に回復ゾーンがあるので、この要素は失われてしまった。
ダンジョンが探索するものではなく、通過する一本道になってしまったのだから仕方ない。
むろんゼノギアスもこのタイプのダンジョンがほとんどだ。
だが「キスレブ下水道」だけは違った。
MOTHER2のモグラ穴のように、広いダンジョンのあちこちでフラグをたてつつ、「いつ戻り、いつボスに挑むか」を常に判断する必要のあるダンジョンだった。
この一番ゲームらしいダンジョンが、「リコさんの顔見せ」というシナリオ上ぜんぜん重要でないイベントであったのは皮肉なことである。
■固有名詞のバラバラ
ゼノギアスには序盤から終盤まで次々と専門用語が出現する。
ソラリスのアバルたちがゲブラーを使ってラムズを支配し、産まれたウェルスは『教会』のエトーンが処理してたりして、パルスのファルシのルシは危うくコクーンからパージされるところだったが、その辺はとにかくひたすら説明をしてくれるので何とかなった。
どうでもいいけどストーン司教に憧れてエトーンになるのはおかしいだろ。
そこはストーンになれよビリー!
……専門用語が多いのは別にいい。
いわば固有名詞は全て専門用語であり、それは世界観の一部だ。
気になって仕方ないのはその統一性である。
主人公フェイ(中国語系)の乗るマシンがヴェルトール(ドイツ語系)なのは、話の流れを考えればまあいい。
だがユーゲント(ドイツ語)出身のエレハイム(ドイツ語)さんの専用機がなぜヴィエルジェ(フランス語)なのかは説明が無い。
シタン(日本)先生がヘイムダル(北欧)に乗ったのは偶然だがなぜか専用ギアもフェンリル(北欧)だった。
その他、リカルド(スペイン)が乗るのはシューティア(ドイツ)、ビリー(英語)が乗るのはレンマーツォ(イタリアと見せかけて中国)……と来ると、もはや意図的にバラしてるとしか思えない。
多国籍感・無国籍感を出す狙いなのかもしれない。
それでもせめて、バルトのまわり(北欧しばり)みたいに、一人ひとりのまわりは統一感を持って固めてほしかった。
■DISC2という発明
ヒントを得てない状態でパスワード解除装置を触ると、フェイが「なんだこりゃ?全然わかんないぜ」みたいなセリフを言うシーンがある。
全然わかんないのはプレイヤーであり、わかんないから先に進めないのである。
フェイに言われなくてもそんなことはわかってるのである。
つまり、このイベントは、「俺がフェイを操作して、謎を解く」のではなく、「謎を解くフェイを、俺が操作する」イベントなのだ。
JRPG全般に漂う傍観主義をよく表したセリフだと思った。
ところがDISC2に入り、このゲームは驚くべき展開に入る。
キャラクターのモノローグでシナリオを進める、という、有名な「サウンドノベル化」である。
「○○しようとした俺たちの前に××が立ちはだかった…」
↓
ボス戦
↓
「××は倒れた。
俺たちは△△を守るため、□□へ向かった…」
↓
買い物+ダンジョン
↓
ボス戦
↓
「△△を手に入れた俺たちを待っていたのは☆☆だった…」
↓
合体変形ムービー
↓
ボス戦
Wow!!テンポ速い!
ワールドマップなんて要らんかったんや!
制作日程の都合とも容量の関係ともいわれたこのサウンドノベル化だが、俺はむしろ、すごく納得のいく流れだった。
実にゼノギアスになじむシステムだと感じた。
俺は、RPGのシナリオは
(1)「敵の家のボスを倒してくれ!」
(2) ボス撃破
(3)「ありがとう、北に次の村があるぞ」
のエンドレスワルツだと認識している。
たとえばMOTHER2の場合は「街の不良を倒してくれ」→「ありがとう、交通封鎖は解いておこう」→「さらわれた女の子を助けてくれ」→「ありがとう、ライブハウスのバンドに会いたまえ」という風に事が進む。
ところがゼノギアスは違う。
村→森→砂漠の街まではいいとして、「先生を追って砂漠へ」→「謎の男に遭遇(ボス戦)」→「さわぎを聞きつけた兵士に捕まる」→「連行中にさらに賊に襲われる(ボス戦)」→「落とし穴に落ちて鍾乳洞へ」とのっけから強制移動・一方通行の連続である。
自分の意志で戻る事はできないし、戻れてもたいして意味はない。
つまり、いきなり敵の家に放り込まれるのだ。
それが済むとまた次の敵の家に放り込まれるのだ。
DISC1の段階から、ゼノギアスはすでにサウンドノベルだった。
「俺がフェイを操作して、謎を解く」のではなく、「謎を解くフェイを、俺が操作する」ゲームなら、そのほうが都合が良い。
パーティ編成の自由度も低く、装備更新も作業的であるなら、これで足りる。
どうせ一本道のダンジョンなら、別に操作しなくていいじゃあないか。
サウンドノベル化はごく自然なことで、もっとはやくこれを実施していれば序盤のペースも加速できただろうに、と思った。
あとは序盤の伏線の量がすごいので、しおりと巻き戻しが搭載されるとありがたい。
これで新ジャンル「ノベライズRPG」の完成である。
なお、シナリオがサウンドノベル状態になっても、巨大ロボ登場イベントや敵のロボ合体シーンはムービー付きで表現するあたり、スタッフが「何をつくりたかったのか」が凄い伝わってきて胸熱になる。
惜しむらくは、スタッフたちがRPGをつくるノウハウしか持たなかったことだ。
■3行でまとめろよ
ゼノギアスは「ロボットもの」の名作だが、ゲームとしては完成しなかった。
当時は「RPGで何でも表現できるようになった」と錯覚していたが、
しょせんRPGではゲーム以外のモノは作れないのだ。
「裏FF7」とも呼ばれ、いまだに根強いファンをもつゲームである。
なおモッコス様はゼノサーガなので全然別物。
シナリオは緻密で複雑。
発売が1998年2月なので、エヴァの影響を直撃で喰らっており、ロボットアニメの文法に思想哲学を織り込んだ切り口で、牧歌的な村から人類全体を巻き込む戦いまでを描く。
とにかく設定が緻密なので、全編通して説明的セリフが多く、うかうかしてると最初のほうの伏線を忘れてしまうほどだ。
正直、RPGにこれだけの設定をのっけられたのは驚嘆のほかない。
JRPGの主成分であるキャラクターも、ベタすぎないバランスで揃っている。
それぞれのキャラの設定・描写もこだわりが感じられ、少なくとも矢吹健太郎先生に「ナノマシンとは幼女を変形させるもの」という知識を植え付ける程度にはセンセーショナルだったと言えるだろう。
それぞれの仲間との出会いから、パーティに正式加入するまでの話は、ワンピースさながらのていねいさでメインシナリオを脱線して描かれる。
ただ、そんなシナリオとキャラが、システムとかみ合ってるかというと疑問が多い。
主人公たちが乗るマシン(ギア)は、派手な空中戦を繰り広げるシーンがあるくせに、普段は貧弱なジャンプしかできず、アクションの苦手なプレイヤーを困らせる。
飛べるんだろ!?飛べよ!
また、おそらくジャイアントロボが大好きな人が設定したと思われるキャラがおり、彼女だけコクピットでなくギアの頭に乗って出撃するのだが、それがシナリオに関係するでもなく、何かパラメータに影響するわけでもなく、むしろそのまま平然と水中戦や高度空中戦をやってしまう現象が起きている。完全にムダ設定といえるだろう。
そう、ここまでひいき目に書いてきたけれど、
ゼノギアスはシナリオに対してシステム面がまったくお粗末なのだ。
ここからの長文は、主にゼノギアスをDisる流れになる。
だが、このゲームの問題点は、そのまま今のJRPGにも引きずられているかもしれない。「RPGとは何か」に関わる問いなので、丁寧に、誠実にDisっていきたい。
■パラメータの価値とそのバランス
最初に一番致命的に残念だった点を述べる。
ゼノギアスの戦闘は「すばやさ」に応じた疑似アクティブタイムバトル制をとっている。(コマンド入力待ちのとき停止するのでリアルタイムではない)
その「すばやさ」はキャラごとに固定されていて、基本的には変化しない。
フェイが11、シタンが13、リコやマリアは7固定。
たった6の差だけど、リコさんが1回動く間に、シタン先生はなんと3回動く。
そうなると当然シタン先生の能力はリコさんの1/3であるべきだが、攻撃力はリコさん44に対してシタン先生41。
「たかだかすばやさ6点」とでも思ったのか!?
したがってすばやさが10以下のキャラはほぼ存在価値が無い。このカースト制度により、リコさんなどは公式いらない子認定されている。無責任な!
肉弾戦メンバーはシタン13・エメラダ12・フェイ11でほぼ確定。
ボス戦では命中支援のためにバルトを採用する手があったり、ギア戦になると主砲として魔改造したビリーさんを投入したりするが、8人もメンバーがいるのに、この選択肢の狭さは勿体ないことである。
なお「魔改造したビリーさん」とは、他のパラメータを全部捨てて、魔力増幅アクセサリだけを装備し、魔力増幅装置だけを装備したギアに乗ることで、あっさり9999ダメージを連発できるようになったビリーさんのこと。
こういう工夫の余地があるのは面白いが、やはり極端なバランスという印象は拭えない。
■ゼノギアスの戦闘
戦闘をいかに楽しくするか、というのはRPGの要の1つだと思うが、ゼノギアスは、「攻撃」コマンドが弱・中・強のコンボになるのが特徴だ。基本的には強攻撃だけぶっぱなすのが一番効率がいいのだが、弱・中・強の組み合わせで覚える必殺技が、最終的に火力の要になる。
したがって、ザコ戦では「弱中強」「弱弱弱強」などで技を覚えるポイントを稼ぎ、ボス戦ではその時点で使える一番強い技を連発して(消費は無い)戦う。
問題はそのボス戦のありかたなのだ。
だいたいいつも「HPが減ったら回復魔法、そうでないときは攻撃」の繰り返し。
1人のときは仕方あるまい。だが3人になっても変わらないので困る。
その上、MP回復の手段が潤沢なので、とにかく負ける要素が無い。
しかもどうやら「強敵=HPが高い」と誤解しているらしく、長期戦をすることが強さの指標だと言わんばかりに、無駄にしぶとい奴が多い。素人がRPGツクールで陥りがちな罠にきっちりハマっているではないか!
終盤になるとようやく技巧派の敵が現れ始める。「○ターン以内に倒すとレアアイテムを落とすボス」などは頭を使った。
……最終的に魔改造ビリーさんで撃ち殺すことで解決したが。
■こんな装備で大丈夫か?
わりとどのRPGでもつまらないなと思うのが、新しい街に到達して新しいラインナップの装備が売られていたときに、
「一番いいのを頼む」
以外の選択肢がなく、しかもだいたいそれが所持金の範囲に収まってしまうことだ。
ゼノギアスの場合、やはりキャラの装備もギアのチューンも、
「一番いいのを頼む」
で済んでしまうため、お金を貯めるとか使うとか、そういう感覚が無い。
終盤になると、魔改造ビリーさんのような工夫の余地が出てくるが、それ以外は、どうしても装備の刷新は単純作業になりがちだ。
一番いいのを買うと明らかに軍資金不足になるよう設定してあって、戦闘のバランス自体は二番目の装備を基準に取られてるようにすれば、詰まった人が装備を買って強引に突破する、という選択ができるな……と考えた。
JRPGって「レベル上げさえすれば誰でもクリアできるもの」と認識されてるけど、そこに「お金稼ぎをすれば」という要素を加えてもいいんじゃないかな。……まあどっちみち、それだけじゃPAR全盛になるだけだと思うけど。
■RPGとダンジョン
「ゲーム」の定義から外れつつあるJRPGの中で、まだゲームらしい要素の1つに、「ダンジョンを進み、消耗していく中で、どのタイミングで補給に戻るか」という判断をせまられる、というものがあると思う。
いまや安価なテントがあり、大抵のダンジョンにはセーブポイントがあり、ボスの前にもご丁寧に回復ゾーンがあるので、この要素は失われてしまった。
ダンジョンが探索するものではなく、通過する一本道になってしまったのだから仕方ない。
むろんゼノギアスもこのタイプのダンジョンがほとんどだ。
だが「キスレブ下水道」だけは違った。
MOTHER2のモグラ穴のように、広いダンジョンのあちこちでフラグをたてつつ、「いつ戻り、いつボスに挑むか」を常に判断する必要のあるダンジョンだった。
この一番ゲームらしいダンジョンが、「リコさんの顔見せ」というシナリオ上ぜんぜん重要でないイベントであったのは皮肉なことである。
■固有名詞のバラバラ
ゼノギアスには序盤から終盤まで次々と専門用語が出現する。
ソラリスのアバルたちがゲブラーを使ってラムズを支配し、産まれたウェルスは『教会』のエトーンが処理してたりして、パルスのファルシのルシは危うくコクーンからパージされるところだったが、その辺はとにかくひたすら説明をしてくれるので何とかなった。
どうでもいいけどストーン司教に憧れてエトーンになるのはおかしいだろ。
そこはストーンになれよビリー!
……専門用語が多いのは別にいい。
いわば固有名詞は全て専門用語であり、それは世界観の一部だ。
気になって仕方ないのはその統一性である。
主人公フェイ(中国語系)の乗るマシンがヴェルトール(ドイツ語系)なのは、話の流れを考えればまあいい。
だがユーゲント(ドイツ語)出身のエレハイム(ドイツ語)さんの専用機がなぜヴィエルジェ(フランス語)なのかは説明が無い。
シタン(日本)先生がヘイムダル(北欧)に乗ったのは偶然だがなぜか専用ギアもフェンリル(北欧)だった。
その他、リカルド(スペイン)が乗るのはシューティア(ドイツ)、ビリー(英語)が乗るのはレンマーツォ(イタリアと見せかけて中国)……と来ると、もはや意図的にバラしてるとしか思えない。
多国籍感・無国籍感を出す狙いなのかもしれない。
それでもせめて、バルトのまわり(北欧しばり)みたいに、一人ひとりのまわりは統一感を持って固めてほしかった。
■DISC2という発明
ヒントを得てない状態でパスワード解除装置を触ると、フェイが「なんだこりゃ?全然わかんないぜ」みたいなセリフを言うシーンがある。
全然わかんないのはプレイヤーであり、わかんないから先に進めないのである。
フェイに言われなくてもそんなことはわかってるのである。
つまり、このイベントは、「俺がフェイを操作して、謎を解く」のではなく、「謎を解くフェイを、俺が操作する」イベントなのだ。
JRPG全般に漂う傍観主義をよく表したセリフだと思った。
ところがDISC2に入り、このゲームは驚くべき展開に入る。
キャラクターのモノローグでシナリオを進める、という、有名な「サウンドノベル化」である。
「○○しようとした俺たちの前に××が立ちはだかった…」
↓
ボス戦
↓
「××は倒れた。
俺たちは△△を守るため、□□へ向かった…」
↓
買い物+ダンジョン
↓
ボス戦
↓
「△△を手に入れた俺たちを待っていたのは☆☆だった…」
↓
合体変形ムービー
↓
ボス戦
Wow!!テンポ速い!
ワールドマップなんて要らんかったんや!
制作日程の都合とも容量の関係ともいわれたこのサウンドノベル化だが、俺はむしろ、すごく納得のいく流れだった。
実にゼノギアスになじむシステムだと感じた。
俺は、RPGのシナリオは
(1)「敵の家のボスを倒してくれ!」
(2) ボス撃破
(3)「ありがとう、北に次の村があるぞ」
のエンドレスワルツだと認識している。
たとえばMOTHER2の場合は「街の不良を倒してくれ」→「ありがとう、交通封鎖は解いておこう」→「さらわれた女の子を助けてくれ」→「ありがとう、ライブハウスのバンドに会いたまえ」という風に事が進む。
ところがゼノギアスは違う。
村→森→砂漠の街まではいいとして、「先生を追って砂漠へ」→「謎の男に遭遇(ボス戦)」→「さわぎを聞きつけた兵士に捕まる」→「連行中にさらに賊に襲われる(ボス戦)」→「落とし穴に落ちて鍾乳洞へ」とのっけから強制移動・一方通行の連続である。
自分の意志で戻る事はできないし、戻れてもたいして意味はない。
つまり、いきなり敵の家に放り込まれるのだ。
それが済むとまた次の敵の家に放り込まれるのだ。
DISC1の段階から、ゼノギアスはすでにサウンドノベルだった。
「俺がフェイを操作して、謎を解く」のではなく、「謎を解くフェイを、俺が操作する」ゲームなら、そのほうが都合が良い。
パーティ編成の自由度も低く、装備更新も作業的であるなら、これで足りる。
どうせ一本道のダンジョンなら、別に操作しなくていいじゃあないか。
サウンドノベル化はごく自然なことで、もっとはやくこれを実施していれば序盤のペースも加速できただろうに、と思った。
あとは序盤の伏線の量がすごいので、しおりと巻き戻しが搭載されるとありがたい。
これで新ジャンル「ノベライズRPG」の完成である。
なお、シナリオがサウンドノベル状態になっても、巨大ロボ登場イベントや敵のロボ合体シーンはムービー付きで表現するあたり、スタッフが「何をつくりたかったのか」が凄い伝わってきて胸熱になる。
惜しむらくは、スタッフたちがRPGをつくるノウハウしか持たなかったことだ。
■3行でまとめろよ
ゼノギアスは「ロボットもの」の名作だが、ゲームとしては完成しなかった。
当時は「RPGで何でも表現できるようになった」と錯覚していたが、
しょせんRPGではゲーム以外のモノは作れないのだ。