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◆不定期日記ログ◆

■2003-01-07
妄想2003
 そもそも正月から「犬も歩けば棒に当たる」の意味など忘れるからいけないのだ。

 すぐに調べたのだが、このことわざはもちろん犬の愚かさを言ったものではなく、「物事を為すにはリスクが伴う」ということを言いたいらしい。
 しかし、それにしても犬が棒に当たるなとどいう事象をリスクの例えに使うものだろうか。きっとこれには何か事件が絡んでいる。後世にことわざとして残るくらい衝撃的な犬の当り様があったに違いないのだ。

 時はさかのぼり江戸時代末期。世間がサスケハナ号の来訪に触発され4杯のお茶を飲んで不眠症に陥るくらいひっくり返っていたころである。
 町外れで出会う二人の男。片方は人相の悪いたいそう腕っ節の強そうな男で、もう一方はギターを背負ったキザな男である。キザな男は人相の悪い男を挑発し、人相の悪い男は息巻いて「お前は俺が誰だか知らねえらしいな!」とドスのきいた声で言う。
 「権蔵親分の用心棒、犬当り三十郎。犬当りの名人だが日本じゃ二番目の男。」
 「何ィ!では一番は誰だと…?」
 キザな男は口笛を吹いて自分を指差す。そして始まる犬当り勝負。
 三十郎は世にも珍しいブルドッグとチワワを放し、逃げ惑うチワワと追いかけるブルドッグに同時に体当たりをして宙に舞わせ、両者を二段に重ねた。それに対してキザな男は、両者に同時に体当たりしただけではなくチワワを蜜柑の木に向かって飛ばし、跳ね返ってきたチワワがブルドッグの背中に乗っただけではなく落ちてきた蜜柑も重なって見事な鏡餅を作った。勝ち誇り、去ってゆくキザな男。
 それを見ていた庄屋のご隠居は、祝いの席で殿様にその様子を話し、たいそう喜ばせて褒美をもらったという。しかしキザな男は最後まで名乗らなかったため話中では「某」とされ、これが「犬も歩けば某に当たる」という話として江戸中にチェーンメール的に広まってゆくのである。

 …このような話でいつものように、友人一家との昼食の時間は過ぎていった。
 新年早々妄想しすぎたと思った。